慶太さんの母方の祖父母の家には、三ツ胴斬りという刀があった。
その名の通り、一太刀で三つの胴を斬ることができたという刀で、古くは処刑に使われていたという。
人の手を渡る中ではっきりとした由来は失われてしまったが、どうやら織田信長からの流れを汲む刀で、何らかの理由があって徳川光圀の手に渡り、徳川光圀から徳川吉宗に与えられた後、水戸徳川家に突き返され、最終的に慶太さんの先祖の家に辿り着いたのだそうだ。
時代は昭和後期。
当時、慶太さんは小学生で、毎年夏休みになると両親と共に母親の実家――茨城県某所に泊まりに行くことを習慣としていた。
祖父母の家は田んぼに囲まれていた。
一見すると娯楽に欠けるように思われるのだが、庭の梯子から水の豊かな川に下りられるようになっており、慶太さんはこの川で水遊びをするのが好きだったのだという。
家の中に入ると二十畳はあるだろうという土間の玄関に圧倒される。
居間も十六畳はあり、古式ゆかしい五右衛門風呂が生きていて、客間は意外と狭く五畳程度。
この客間の横に、何畳あるかわからないが相当に広いであろう――という開かずの間があった。
――カタカタカタカタカタ。
真夜中、客間で寝ていた慶太さんは異音を耳にしたことがあった。
客間の横には開かずの間があり、開かずの間の中に三ツ胴斬りが保管されている。
「お母さん。カタカタ音がするよ」
恐る恐る、寝ている母親の背中に話しかけてみる。
「気の所為でしょ」
母親は全く意に介さないのだった。
開かずの間が怖かった慶太さんは、なるべく開かずの間を避けるように、目に入れないように生活していたのだが、開かずの間に繋がる襖が不自然に開いている時が何度かあり、中を目にしてしまったことがあったという。
襖の先には廊下があり、廊下の先には襖がもう一枚。
奥の襖を開けた先に、三ツ胴斬りが保管されている。
長年、二枚目の襖の先は見たことがなかった。
だが、二十七歳くらいになった慶太さんが葬儀の兼ね合いでこの家を訪れた際、手前の襖も奥の襖も二枚とも開いている時に通りがかってしまったのだ。
――なぜ襖が開いてるんだろう? 用があって誰か中に入ったのか?
――見ない方がいいことはわかっているが。
刀を、見てみたかった。当時霊感のような力が目覚めていた慶太さんは、何かの腕試しのように、開かずの間の襖を開け放った。
部屋の中心に、大きな木箱があった。
箱の周りには黒い人影のような靄があり、箱をよく見ると三ツ胴斬り刀と書いてあったので、「これだ」と思い蓋をぱかっと開けてみた。
――カタカタカタカタカタ。
人影は心なしか刀に吸い込まれていくように見えた。
三ツ胴斬りは柄を除いた状態で、白鞘(しらさや)に包まれていた。
――これは駄目だ。
――だって、この音は。
刀が血を吸う時の音だ。
恐らく、三ツ胴斬りはかれこれ数百年。
生きている者からも死んでいる者からも腥(なまぐさ)いものを求め、見境なく血を吸い続けているのだ。
かつて、江戸時代に御様御用(おためしごよう)という職業があった。
八代将軍徳川吉宗の刀の斬れ味が悪くあってはいけないと、死体を使った試し斬りがおこなわれるようになり、以後将軍家を含む要人の刀の試し斬りや処刑を山田浅右衛門が世襲制で担うようになったのである。
慶太さんの母方の祖父母の家――三ツ胴斬りのある家は古すぎたため、平成に入ってから大規模なリフォームがおこなわれ、五右衛門風呂は自動お湯はり機能付きの浴室になり、汲み取り式だったお手洗いは水洗式のものへと変わった。
だが、家の中心部、開かずの間だけはリフォームがおこなわれず――。
「敷地の真ん中に大きく開かずの間がある状態なんですよ」
慶太さんの母方のご親戚は現在、カタカナのロの字のようになってしまっている家で生活しているのだという。
【参考文献】
『旧事諮問録 江戸幕府役人の証言』 編集:旧事諮問会 著:進士慶幹