江戸城 | |
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別名 | 千代田城 |
築城者 | 太田道灌、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光 |
魅力 | 桜田門外の変でおなじみの外桜田門や、江戸城唯一の三重櫓・富士見櫓、歴代将軍をはじめ名だたる大名が潜った大手門など、あらゆる遺構が楽しめる。天守はないものの日本最大の巨大城郭であり、年間100万人以上もの来訪者を誇る。 |
伝承/怪談 | 伏見櫓・・・三代将軍家光の頃、廃城となっていた伏見城(京都府)を解体し移築したものが元になっている、という伝承があるが伝承の域を出ない。1923年の関東大震災で倒壊した後、復元されている。 血染めの畳・・・前述の伏見櫓の移築時、鳥居元忠(伏見城の城代だった)の忠義心に胸を打たれた家光が、鳥居元忠や彼の家臣たちの血で染まった“血染めの畳”を江戸城へ移し、伏見櫓に収めたと言われている(※明治維新後は精忠神社(栃木県壬生町/鳥居元忠の子孫が創建した)へ移され埋められている(畳塚)。 ・謎の白骨・・・1923年の関東大震災の後、工事現場から16体の人柱でない謎の白骨が出土している。 ・大奥の幽霊・・・江戸城本丸には大奥があり、最盛期には数千人もの女中が勤めていたとされる。かつて、五代将軍綱吉の妻信子は大奥の宇治の間で生活していたが、綱吉は「恋愛関係のもつれから妻(信子)に殺された」と噂されるようになり、騒動後、宇治の間は物置同然の扱いになっていた。 宇治の間はいつしか開かずの間となり、「開かずの間の前に黒紋付の女の霊が現れることがある」「現れた後には災いがある」といった怪談が伝播した。また、明暦の大火をはじめ数々の火災や震災を経験してきた江戸城だが、なぜかこの開かずの間は再建され続けた。 【参考】 1925年6月25日付東京朝日夕刊2面 三田村鳶魚著『御殿女中』62P宇治の間の怪,春陽堂,昭和5年,国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1447416(参照2023-07-21) 『江戸城図』,写.国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2542261(参照2023-07-21) |
アクセス | ・大手門までは地下鉄各線の大手町駅C10出口、C13a出口から徒歩約5分。 |